田畑 開
TABATA HIRAKU
企画部 事業企画課
2011年入社
Work SideMember Interview

国際線の就航都市の
検討など、
社運をかけた
プロジェクトにも参加。

様々なプロフェッショナルの間に立って調整を行う。

高校を卒業後、大学進学のため出身地である宮崎県を離れました。地元を離れて改めて「宮崎は過ごしやすい場所だな」と感じたことを覚えています。就職活動は福岡、大阪、東京の都市圏を中心に行いましたが、途中、帰省する機会があり、地元に本社を構えるソラシドエアの選考に参加しました。当初、航空業界への就職は一度も考えたことがありませんでしたが、新しいことへの挑戦には興味がありました。何より、自分の生まれ育った地元の役に立てることがあるならと入社を決めました。入社後の最初の配属は東京・羽田空港。所属は運送本部で、飛行機のすぐ側で出発準備を進めるランプ作業の工程管理を行う仕事などを任されました。飛行機が駐機している駐機場が職場。そこでグランドハンドリングスタッフ、整備士、運航乗務員(パイロット)、客室乗務員(CA)といった各業務のプロフェッショナルたちの間に立ち、様々な調整役を務めました。一つの事象に対するそれぞれの立場の見方・感じ方は大きく異なり、様々な目線で考える視野の広さが身につきました。入社1年目からこうした経験ができたことは大きかったです。

自分たちでルール自体を決めることからスタート。

入社3年目には本社の企画部に異動しました。この頃は、当社が九州や沖縄の自治体のPRをお手伝いする「空恋プロジェクト」がちょうどスタートした時期だったこともあり、私も自治体との調整役として地元との結びつきを強める取り組みを担当しました。ただ、プロジェクト自体が前例のないものであったため、航空機や客室内でのサービスを使って、どのようなPR活動のルールを決めることから自分たちで行う必要がありました。自治体のみなさま方からの期待は大きく、できる限り要望にお応えできるよう様々な調整を進めていきました。中には、お応えすることが出来ないこともあり、悔しい思いをすることもありましたが、地元宮崎や各自治体の役に立てる喜び、やりがいを感じられた仕事でした。そして、その2年後に現在の部署へ異動。今度は会社の航空事業に、より大きな影響を与えるダイヤの策定業務に関わることになりました。たとえば、運航する路線・便数計画の調整業務では、自社の機材や自治体の要望、過去の統計データ、今後の市場動向などをもとに現状のダイヤを変更するかどうかを検討していきます。その際、求められるのは全体最適です。例えば、営業部門では売上アップに向けて便の本数を増やしたい。一方、空港業務に携わる部署は、安全性や定時性の確保のため、ゆとりあるダイヤを希望します。ここでも両者の間に立って考える必要があるのですが、この時、自分自身が空港で働いていた経験が大いに役立ちました。航空会社の業務はどれも、関わる部門が多岐にわたるため、こうした幅広い業務経験が自分自身を成長させるとともに、活躍していく上で必要だと思います。

ソラシドエアが提供すべき国際線の姿を求めて。

当社は九州を中心とするローカルエアラインとして成長してきましたが、今後は、国際線の定期運航を目指しています。現在、私はこの社運をかけた一大プロジェクトにも参加し、就航都市の検討作業を手伝っています。そもそものターゲットをどこに置くか、時代や社会のニーズ、競合他社の動きや政治リスクなど、様々な視点、データから、当社が提供すべき国際線の姿を形づくっている真最中です。実際にいくつかの候補地には視察に飛び、空港業務を依頼するビジネスパートナーの感触を確認したり、現地の熱感を肌身で感じたり、会社の机上だけでは決して集めることができない重要な情報収集も行っています。この国際線への挑戦は会社として大きな決断です。こうしたプロジェクトに20代から関わることができるのは、ソラシドエアで働く最大の魅力だと思います。今後の自分のキャリアに関しては、現場を直接支える部門を含めて、もっといろいろな経験を積みたい。そして、そのすべての経験を生かして、独自の魅力、独自のファンを数多く持つ航空会社にしていきたいと考えています。

My Holiday

飲食店の開拓に力を入れています。宮崎の繁華街はさほど大きくありませんが、それでも発掘できていない名店がまだまだあるはず。また、毎年、会社の先輩後輩たち10人くらいで沖縄に旅行したり、東京で食事をしたり。充実した休日を送っています。